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アジア都市・飛行機旅行の豆知識

上海(出典:wikipedia)

上海市(シャンハイし、中国語:上海市、英語:Shanghai)は、中華人民共和国の直轄市である。 世界有数の世界都市であり[1]、同国の商業・金融・工業・交通などの中心の一つである。2011年5月現在の常住人口は2,300万人を超えており[2]、市内総生産は1兆9,196億元(約26兆円)であり[3]、首都の北京市を凌ぎ同国最大である。国務院により国家中心都市の一つに指定されている。

地名の特徴

上海は揚子江デルタの水網地帯にあるため、地名には浦、涇、漕、蕩、浜、橋など水に関連する漢字がよく使われる。

歴史

中国の戦国時代、今の上海あたりは春申君の封地だったため、今も「申」と称す。また「滬」(魚を捕る道具の意)とも呼ばれる。 上海の地は唐代には華亭県の一部だったが、蘇州河の南に上海浦という村ができ、宋代に上海鎮とよばれるようになった。これに対し黄浦江下流の現虹口区あたりには下海廟も存在した。1292年に上海県となったが、それ以前は江蘇省に属した。 アヘン戦争を終結させた1842年の南京条約により上海は条約港として開港した。これを契機としてイギリス、フランスなどの租界が形成され、後に日本やアメリカも租界を開いた。1865年に香港上海銀行が設立されたことを先駆として、欧米の金融機関が本格的に上海進出を推進した。1871年には香港と上海を結ぶ海底通信ケーブルが開通し、日本の長崎にも延伸された。 1920年代から1930年代にかけて上海は中国最大の都市として発展し、イギリス系金融機関の香港上海銀行を中心に中国金融の中心となった。上海は「魔都」あるいは「東洋のパリ」とも呼ばれ、ナイトクラブ・ショービジネスが繁栄した。こうした上海の繁栄は、民族資本家(浙江財閥など)の台頭をもたらし、階級闘争的な労働運動が盛んになっていた。 1925年に上海から始まった五・三〇運動は、中国における大規模な民族運動とされるが、同時に社会主義的労働運動の台頭を示した事態であった。こうした状況を懸念した浙江財閥は、蒋介石と提携し反共クーデター(上海クーデター)を決行させた。なお、中華民国の下で1927年に上海特別市となり、1930年5月、上海直轄市が成立している。 1932年には満州事変と連動した日本軍の攻撃による上海事変が起きた。1935年には日本人水兵射殺事件や日本人が経営する商店が襲撃される事件が起きた[4]。1937年には盧溝橋事件と連動して、大山中尉殺害事件後に日本軍の攻撃により第二次上海事変が勃発した。中国軍機の爆撃を受けた上海共同租界では多くの市民が犠牲となったが、日本軍によって上海共同租界への中国軍の侵攻は阻止された。1941年には太平洋戦争の勃発とともに上海共同租界は日本軍に接収された。1949年の中華人民共和国成立により、外国資本は香港に撤収したが、1950年代から1960年代にかけては工業都市として発展した。 1978年の改革開放政策により、再び外国資本が流入して目覚ましい発展を遂げた。現在も、1992年以降本格的に開発された浦東新区が牽引役となって高度経済成長を続けている。また上海市指導部から江沢民、朱鎔基、呉邦国、曽慶紅、黄菊ら中華人民共和国の国家主席、総理などの指導部を輩出している。

飛地

上海市域外の江蘇省と安徽省に、上海市飛地がいくつか存在する。以下の各地域の住民(中国人犯罪者を除く)は上海戸籍を有する。日常会話は上海語。

言語

言語は上海語。上海語は呉語を代表する方言である。本来文字はなかったとされるが、音に近い漢字が当てられた。上海語の中にも方言があり、浦東、青浦地域に存在する。崇明島ではまた違った言語が話されるが、上海語に近い。上海には周囲の江蘇省、浙江省から多くの労働者が出稼ぎに来たため、彼らの多くが今も住む上海駅周辺では上海語とは異なる言語である「蘇北語」が話されている。 普通話と上海語とはまったく通じないが、普通話の教育が中国全土で行われているため、大抵の上海人が普通話を使用できる。

上海語で放送されるテレビ番組や上海語で上演される歌劇などがある。中国で上海語の学習書なども出版されている。

交通
中国国鉄の駅

中国国鉄の駅

駅舎は2010年の上海万博にあわせて大規模な改装とホーム屋根の改築を行った。一等車待合室には中国語・英語・日本語の電子掲示板サービスが提供される。 上海地下鉄(上海地) 1号線は1995年開通、以後拡張を続けている。こちらも上海万博にあわせて大幅な延伸が行われ、2010年7月現在、総延長は424.7kmに達した。2015年には総延長約530kmに、2020年ごろには21路線・総延長約980kmに達する予定である。 上海トランスラピッド(上海磁浮列) 浦東国際空港(下記)と地下鉄2号線竜陽路駅の間に実用型リニアモーターカーが開通し、世界で初めて超高速運転を行っている。世界で3番目に開業した磁気浮上式の常設実用線である。杭州までの延伸計画を検討中。 滬寧都市間鉄道(城) 南京駅と上海駅および上海虹橋駅の間に2010年7月1日に開通した。 京滬高速鉄道(京高速路) 北京南駅と上海虹橋駅の間に2011年6月30日に開通した

交通カード

市内のほとんどの公共交通機関において上海公共交通カードを利用できる。年齢70歳以上の老人(上海戸籍)は非接触式の老人カードを使えば、通勤時間帯以外の路線バスと地下鉄を無料乗車できる。

文化

上海は中国政府が指定する「国家歴史文化名城」のひとつであり、市内には「全国重点文物保護単位」が16点存在する。

上海でも近年中国の標準語とされる普通話(北京語)は通用するが、日常会話で使われているのは依然として上海語(上海方言)であり、テレビ・ラジオ放送でも上海語の番組が存在する。上海語は呉語(呉方言)の代表的なものである。上海語を使って演じる伝統劇の「滬劇」があるほか、近年は若者が上海語のラップを歌う例も見られる。但し、他地域同様に幼稚園からの普通話教育と公共場所での普通話の徹底により、上海生まれ上海育ちの若者でも上海語が話せなくなってきている。一部、上海市が対策を講じ始めているが効果には至っていない。

アクロバティックな演技で知られる中国風サーカス(雑技)の「上海雑技団」 も有名。上海料理は近接の江蘇省の料理・江蘇料理の影響を受け、これを洗練させたものである。

上海の文化的特徴は、もともと「海派文化」と称される隣接の江蘇省、浙江省地域一帯の伝統的文化・芸術と、1920年代 - 1930年代に西洋から移入された流行文化が混じり合い、現代中国で最も洗練された都市のひとつとなっている。

改革開放政策導入後、上海では多くの大きな文化イベントが開催され、上海大劇院、上海博物館、上海図書館、上海影城など、中国最大規模の文化施設が多く建設された。ヨーロッパ調の上海音楽庁の全面改装後、クラシックのコンサートも多く開催されるようになる。また、国際芸術祭、国際映画祭なども毎年開催されている。2010年5 - 10月には、「より良い都市、より良い生活(城市、?生活更美好;Better City Better Life)」をテーマに万国博覧会(上海国際博覧会)が開催された。

空港
民用空港

上海には、西郊外の長寧区にある上海虹橋国際空港(上海虹?国?机?)と、浦東新区にある上海浦東国際空港(上海浦?国?机?)の2つの空港があり、共に中国東方航空や上海航空、春秋航空のハブ空港の役目を担っている。

国際線は2002年10月以降浦東国際空港に集約され、虹橋空港を発着する国際線の便はなかったが、2007年9月29日に東京・羽田空港との間で1日4往復の定期チャーター便、同年10月28日にソウル・金浦空港便が就航した。

浦東国際空港へのアクセスとして、上海トランスラピッドが採用されている(上述)。

高速道路

1988年10月31日より開通した滬嘉高速道路は中国初めての高速道路。A20(外環線)以内の高速道路、A1(迎賓大道)、大型橋、トンネル等は無料であるが、時間帯によって上海以外のナンバープレートをつけた自動車の流入が規制される。2008年11月から長江デルタ地域ETCの全面導入に伴う高速道路料金システムは電子化された。交通管理は全国で最も厳しいといわれる。市内いたるところに監視カメラが設置され、交通違反した車は上海市境の高速道路料金所で累計した罰金を科せられる。

文化

上海は中国政府が指定する「国家歴史文化名城」のひとつであり、市内には「全国重点文物保護単位」が16点存在する。

上海でも近年中国の標準語とされる普通話(北京語)は通用するが、日常会話で使われているのは依然として上海語(上海方言)であり、テレビ・ラジオ放送でも上海語の番組が存在する。上海語は呉語(呉方言)の代表的なものである。上海語を使って演じる伝統劇の「滬劇」があるほか、近年は若者が上海語のラップを歌う例も見られる。但し、他地域同様に幼稚園からの普通話教育と公共場所での普通話の徹底により、上海生まれ上海育ちの若者でも上海語が話せなくなってきている。一部、上海市が対策を講じ始めているが効果には至っていない。

アクロバティックな演技で知られる中国風サーカス(雑技)の「上海雑技団」 も有名。上海料理は近接の江蘇省の料理・江蘇料理の影響を受け、これを洗練させたものである。

上海の文化的特徴は、もともと「海派文化」と称される隣接の江蘇省、浙江省地域一帯の伝統的文化・芸術と、1920年代 - 1930年代に西洋から移入された流行文化が混じり合い、現代中国で最も洗練された都市のひとつとなっている。

改革開放政策導入後、上海では多くの大きな文化イベントが開催され、上海大劇院、上海博物館、上海図書館、上海影城など、中国最大規模の文化施設が多く建設された。ヨーロッパ調の上海音楽庁の全面改装後、クラシックのコンサートも多く開催されるようになる。また、国際芸術祭、国際映画祭なども毎年開催されている。2010年5 - 10月には、「より良い都市、より良い生活(城市、?生活更美好;Better City Better Life)」をテーマに万国博覧会(上海国際博覧会)が開催された。

建築

上海には1920年代より多くの西洋様式の建築が残されている。その中でも特に黄浦江に面する川沿いの外灘(The Bund)は、上海海関、香港上海銀行などが立ち並びヨーロッパ調の風情を感じさせる建築群として知られており、上海のシンボルにもなっている。市内にも多くの西洋建築が点在している。

上海市内においては、1920年代の一般市民の共同住宅である「石庫門」と呼ばれる建築様式も残っており、現在都市化が進むなか貴重な文化資産として、その多くがブティックやレストランとして改築され、保存されている。市内中心部・淮海中路近くの「上海新天地」はその一例である。

一方外灘の対岸にあたる浦東新区には、1994年完成の東方明珠電視塔を始めとして、新しい摩天楼群が立ち並び、そのエキゾチックな景観、発展ぶりには目を見張るものがある。2008年には世界第2位の高さとなる高層ビル、上海環球金融中心(上海ワールドフィナンシャルセンター;別名「上海ヒルズ」、地上492m、階数104階)が完成し、地上474mの高さにある100階の展望台は世界で最も高い展望台となった。さらに2014年には高さ632mの上海中心(上海タワー)が完成する予定であり、上海環球金融中心の記録を塗り替えて世界第2位になるとみられる。

2010年8月現在、上海には高さ60m以上の高層ビルが8000棟近く存在するとされ、これは日本全国を合わせた約2000棟の4倍に匹敵する規模となる[13]。 その一方で、不動産バブルの崩壊も懸念されており、不動産投機抑制のために上海市当局は、住宅ローン規制や投機目的の不動産業者からの土地没収などの強硬措置も行っているとされる

スポーツ
  • 2004年からF1中国グランプリ、翌2005年からMotoGP中国グランプリが上海インターナショナルサーキット(上海国際賽車場)にて開催されている。
  • 2005年、上海体育館で世界卓球選手権が開催された。また、2004年6月には大相撲公演も行われた。
  • 中国サッカー・スーパーリーグのプロチーム「上海申花」、「上海聯城」の本拠地。上海申花のホームスタジアムは、上海虹口足球場。 上海聯城のホームスタジアムは、上海浦東源深体育場。2007年から二つのチームが合弁した「上海申花」になった。
  • 2008年北京オリンピックのサッカー予選が上海で開催された。
  • アジアリーグアイスホッケーに参加しているチャイナドラゴンが2008年より本拠地としている。

ベトナム(出典:wikipedia)

ベトナム社会主義共和国(ベトナムしゃかいしゅぎきょうわこく)、通称ベトナムは、東アジア・東南アジアのインドシナ半島東部に位置する社会主義共和制国家。国土は南北に長く、北に中華人民共和国と、西にラオス、カンボジアと国境を接し、東は南シナ海に面し、フィリピンと対する。首都はハノイ。

歴史
南北分断時代
  • 1945年8月15日 - 大日本帝国、ポツダム宣言を受諾した旨声明。世界中の日本軍に戦闘停止を命令。
  • 1945年8月17日 - ベトナム独立同盟(ベトミン)がハノイを占拠(ベトナム八月革命)。
  • 1945年9月2日 - ベトナム民主共和国の樹立を宣言、ホー・チ・ミンが初代国家主席に就任。同日、大日本帝国政府が降伏文書に調印し、第二次世界大戦が公式に終結した。
  • 1946年11月 - ハイフォン(海防)でフランス軍と衝突
  • 1946年 - 1954年 - フランスに対する独立戦争(第一次インドシナ戦争)
  • 1949年 - フランスはサイゴンにバオダイを復位させ、ベトナム国として独立を認める。中国、ソ連は、ベトナム民主共和国を承認
  • 1954年7月 - ディエンビエンフーの戦いでフランスは敗北、ジュネーヴ協定を結び、ベトナムから撤退、独立戦争終結。同時に、北緯17度線で国土がベトナム民主共和国(北ベトナム)とベトナム国(南ベトナム)に分断される。10月、南ベトナムではアメリカを後ろ盾にゴ・ディン・ジェムが大統領に就任、国名をベトナム共和国にする
  • 1960年12月 - 南ベトナム解放民族戦線結成。
  • 1962年2月 - アメリカはサイゴンに援助軍司令部を作り、軍事介入、ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)が始まる。
  • 1964年 - トンキン湾事件。以降、1973年まで米軍が戦争に直接介入。
  • 1965年2月 - アメリカは北ベトナム爆撃を開始、本格的な戦争に突入。
  • 1968年1月 - 南ベトナム全土で解放戦線・北ベトナムのテト攻勢、アメリカは大打撃を受ける
  • 1969年1月 - 南北ベトナム、解放戦線、アメリカの4者によるパリ和平会談が始まる
  • 6月 - 南ベトナムで、解放戦線は南ベトナム共和国革命臨時政府建設。ベトナム共和国と対峙。
  • 1972年4月 - アメリカ・ニクソン政権は北爆を再開
  • 1973年1月 - 南北ベトナム政府、臨時革命政府、アメリカの4者は、パリ和平協定に調印
  • 1975年4月30日 -北ベトナムと解放戦線は春の大攻勢を行い、南ベトナムのズオン・バン・ミン大統領は全面降伏、サイゴンは陥落、ベトナム共和国崩壊。南ベトナム共和国の名の下に北ベトナムが実権を掌握。ベトナム戦争終結
南北統一以後
  • 1976年4月 - 南ベトナム消滅による南北統一。初の南北統一選挙を行う。
  • 1976年7月2日 - ベトナム民主共和国をベトナム社会主義共和国に改名。
  • 1976年12月 - ベトナム労働党第4回全国代表者大会をハノイで開き、旧名称であるベトナム共産党を再度採用した。
  • 1978年12月 - カンボジア侵攻を開始(カンボジア・ベトナム戦争、第三次インドシナ戦争の始まり)。
  • 1979年 - カンボジア侵攻を非難する中国がベトナムを攻撃し、中越戦争が開始される。世界各国は援助を停止し、ベトナムは孤立
  • 1986年12月 - 第6回全国代表者大会以降、社会主義型市場経済を目指す、ドイモイ(刷新)政策を開始し、改革・開放路線に踏み出す
  • 1988年3月14日、赤瓜礁が中国に占領される(赤瓜礁海戦)
  • 1989年9月 - 国内経済が疲弊したベトナムは、カンボジアから完全撤兵
  • 1992年 - 越中関係正常化
  • 1993年2月 - ベトナムとフランスが和解。当時のフランス大統領はフランソワ・ミッテラン。
  • 1995年7月 - クリントン・アメリカ大統領がベトナムとの外交関係樹立を発表。1995年8月5日、ベトナムとアメリカが和解。
    • 7月 - 東南アジア諸国連合 (ASEAN) はベトナムの加盟(7番目の加盟国)を認める
    • 10月 - 所有権や契約の考え方を盛り込んだ、初めての民法ができる
  • 1996年1月 - ASEAN自由貿易地域 (AFTA) に参加する
  • 1998年 - アジア太平洋経済協力 (APEC) 参加
  • 2003年 - 日越投資協定締結
  • 2007年1月11日 -世界貿易機関 (WTO) に正式加盟した。150番目の加盟国となった。
  • 2007年10月16日 -国連総会で安全保障理事会の非常任理事国に初選出された。
政治

ベトナム共産党(ベトナム戦争中は「ベトナム労働党」)による事実上の一党独裁政治が行なわれている。名目的に存在した民主党、社会党は1980年代末に解散され、複数政党制から単独政党制に移行した。現在でも、しばしば政治の民主化を望む人々が逮捕されることがある。現在、ベトナム共産党とその衛星政党以外の政党の結成は一切禁止されている。

建国以来、一貫して集団指導による国家運営を行なっており、ホー・チ・ミン(初代ベトナム民主共和国主席兼ベトナム労働党主席)でさえも専制的な権力を有したことはない。ベトナム共産党の最高職である党中央委員会書記長、国家元首である国家主席、首相の3人を中心とした集団指導体制であり、現在の党書記長はグエン・フー・チョン、国家主席はグエン・ミン・チェットであり、首相はグエン・タン・ズンが務める。政府の運営は、極めて官僚的であり、ソビエト連邦や、国民党独裁下の中華民国に類似している。

ベトナムの国会は、2006年6月27日、チャン・ドゥック・ルオン国家主席の引退に伴い、新国家主席にベトナム共産党のグエン・ミン・チェット政治局員(ホーチミン市党委員会書記)を選出した。また、国会は引退するファン・ヴァン・カイ首相の後任にグエン・タン・ズン党政治局員を選出した。国会は、6月28日、新首相の提案に基づき8閣僚の交代人事を承認した。ダオ・ディン・ビン交通運輸相は同省傘下の疑獄事件で指導責任を問われ、事実上更迭された。

反政府組織は今なおベトナム共和国時代の対立を解消できておらず、1960年代に南ベトナムからの独立を企てた諸民族の抵抗組織フルロ (FULRO) 関係者はこれらの組織とは対立関係にあり、各組織の力を一つに集めることができるリーダーシップを有した指導者が存在しない。また、1975年のベトナム共和国消滅から30年以上経ち、世代ごとの反共主義に対する考え方の違いが鮮明になりつつあることから、最近では必ずしも亡命ベトナム人の間で反政府組織が支持されるとは限らなくなっている。

国際関係
日本との関係

西暦734年遣唐使判官・平群広成が帰国の途上、難破して崑崙国に漂流し抑留された。フエ付近に都があったチャンパ王国と考えられる。広成はその後、中国に脱出し、渤海経由で帰国している。753年には遣唐使藤原清河や阿倍仲麻呂が帰国の途上、同じく漂流し、当時中国領だった安南のヴィン付近に漂着した。東シナ海から南シナ海に南下する海流の関係でこのような漂流ルートが存在したようだ。これが縁で阿倍仲麻呂は761年から767年まで鎮南都護・安南節度使としてハノイの安南都護府に在任した。

14世紀から15世紀にかけて交易国家として栄えた琉球王国はチャンパ王国とも通好があった。17世紀になると朱印船がベトナム方面へ進出し、江戸幕府は北ベトナムの大越黎朝や南ベトナムの広南阮氏政権とも外交文書を交換し、朱印船が出入りした。ホイアン(会安)には日本人町も形成されている。朱印船はまた南遷していたチャンパ(占城)でも唐船(中国船)と出会い貿易を行っている。ベトナムの通貨の名称・ドンは、ベトナムの主要通貨であった銅銭を意味するベトナム語ドンティエンに由来する。日本の銅銭・寛永通宝はその材質の良さから、東南アジアの基軸通貨の一つとして流通し、国際取引の決済に使われていた。

1940年に日本軍は北部仏印進駐を行い、1941年には南部にも進駐した。これは、フランスのヴィシー政権との外交協議によるものであり、日本軍は太平洋戦争末期までインドシナ植民地政府と共存していた。その後、日本軍は1945年3月にクーデターによりフランスの植民地政府を解体し、ベトナムを名目的に独立させた(ベトナム帝国)。

戦争終結後に生じた権力の空白はベトナム独立同盟に有利に作用した。また、駐留期間の大半においてフランスの同盟国軍として植民地政府に加担したことは、結局のところ日本もフランスと同類の帝国主義国に過ぎないという印象を与えることになった。

第二次世界大戦末期の1945年に、トンキンを中心にベトナム北部で大飢饉が起こり、大量の餓死者が発生した。餓死者は推計200万人に近いとされる。ホー・チ・ミンが独立宣言の中でフランス・日本の二重支配によって200万人が餓死したと演説しており、ベトナム国内ではこの200万人という数字は広く知られている。いずれにしろこの件につき、日本に対しベトナム政府は外交問題として取り上げたことはない。より多くのベトナム人が、その後の第一次インドシナ戦争、ベトナム戦争で亡くなっているためと考えられている。戦後の日本は賠償として、アメリカの後押しでできた南ベトナム政府に3900ドルの無償援助をした。しかし、餓死したのは北部のベトナム人だった。

戦後、フランスが再び進駐してくると、仏軍とベトナム民主共和国軍の間で戦争(第一次インドシナ戦争)が始まったが、仏越両軍に日本軍兵士が多数参加した。当時、ベトナムには766人の日本兵が留まっており、1954年のジュネーヴ協定成立までに47人が戦病死した。中には、陸軍士官学校を創設して、約200人のベトミン士官を養成した者もおり、1986年には8人の元日本兵がベトナム政府から表彰を受けた。ジュネーヴ協定によって150人が日本へ帰国したが、その他はベトナムに留まり続けた模様である。

1951年に日本政府はベトナム国(南ベトナム)と平和条約を締結し、1959年には岸信介首相(当時)がベトナム共和国政府と140億4000万円の戦争賠償支払いで合意した。一方、ベトナム民主共和国(北ベトナム)は戦争賠償の請求権を留保したが、1973年に外交関係が樹立するまで日本と北ベトナムは国交のない状況が続いた。

日本共産党と全教は1993年よりフエ市でストリートチルドレンの保育・教育施設「ベトナムの子どもの家」(小山道夫、日教組分裂 1991.3.6 以前の都教組委員長 主宰)を運営している。小山自身は日本共産党員であるが、旧社会党系(現 民主党及び社民党)の活動家・政治家と親しく、1994年6月30日から1997年11月7日の自社さ連立政権下においてはフエ省知事顧問として複数の日本ODA事業をフエに導入することに成功し、地元の信頼を勝ち得た。支援する「ベトナムの子どもの家を支える会」の活動も盛んであり、日本民主青年同盟、革新自治体の青年・学生組織及びピースボートと交流を行なっている。

近年、日本企業のベトナム進出が相次いでいるが、その要因として中国の半分から3分の1ともいわれる賃金、AFTA(ASEAN自由貿易地域)の推進に伴ってASEAN域内への輸出拡大が見込める点、さらには中国一極集中のリスクの回避などが挙げられる。

日越両国の関係は「緩やかな同盟関係」と評されている。ファン・ヴァン・カイ前首相は親日・知日家で知られており、また、日本政府や経団連も積極的に経済援助を行っている。グエン・タン・ズン首相は親中派で日本に対する関心が低いと一部報道で伝えられており、今後の両国の関係を懸念する向きもあるが、2007年(平成19年)11月にはグエン・ミン・チェット国家主席が国賓として初めて日本に招かれ、今上天皇・皇后との懇談[12]や、日本経団連との会合をおこなった。

皇太子徳仁親王は2008年(平成20年)9月20日に日越国交35周年の記念イベントである「ベトナムフェスティバル2008」の開会式に臨席し[13]、翌2009年(平成21年)2月には、ハノイ・ダナン・ホイアン・ホーチミンとベトナム各地を縦断して訪問し、今上天皇が皇太子時代の1976年(昭和51年)に南部のカントー川支流で新種のハゼが見つかったことを明らかにした学術論文をハノイ自然科学大学に寄贈した[14]。また、「日メコン交流年2009」ではベトナムの宮廷舞踊や民俗舞踊を観覧している[15]。

ODAは日本が最大の支援国であり、日本のODAによってタンソンニャット国際空港やカントー橋、ハイヴァントンネルなどベトナムの基幹インフラを建設・支援をしている。 また、ソフト面でのインフラともいうべき法律分野でも、日本の法整備支援が大きな役割を果たしている。ベトナムは、1986年のドイモイ以後、市場経済システムへの移行のため、市場経済に適合した法制度の整備が重要な課題の1つとなったが、ここに1994年以来日本の法整備支援が関与している。その結果ベトナムは、改正民法、民事訴訟法、民事判決執行法といった法律を次々と成立させるなど、法制度の整備に大きな前進を見せてきた[16][17]。この分野でのベトナムの日本に対する評価は高く、2007年3月28日には、ベトナムに約3年常駐したJICA長期専門家が、ベトナム司法大臣から、「司法事業記念賞」を授与されている[18]。

ホーチミン(出典:wikipedia)

ホーチミン(越:Tha`nh pho^' Ho^` Chi' Minh/ 城舗胡志明)は、ベトナム最大の都市。東南アジア有数の世界都市でもある。 人物のホー・チ・ミンと区別するため、ホーチミン市またはホーチミン・シティとも呼ぶ

政治・行政機構

ホーチミン市はベトナムにおいて州と同格の都市である。そのため、ホーチミン市の政治構造は州のそれに類似しており、選挙で選ばれた95人の評議員からなる人民評議会と、人民評議会によって選ばれた13人の委員からなる人民委員会とが、最も重要な地方政府機関となる。世界の他の市とは異なり、一人の首長が政治・執行を統括するのではなく、人民評議会議長が市の政治部門の頂点に立ち、人民委員会委員長が市の執行部門の頂点に立つ。ベトナム共産党 (CPV) がベトナムにおける全ての政治・経済・社会活動を指導するので、ベトナム共産党ホーチミン市委員会書記がホーチミン市で真に最高位にある指導者ということになる。

ホーチミン市は2003年12月以降24の行政区画に区分されている。そのうち5つ(面積1,601km^(2))は郊外(ベトナム語で Huye^.n, 漢字: 縣 )として位置づけられる。ホーチミン市域の周囲にあり、同市の公式な境界線の内側にある非都市化農村地帯がこれに当たる。これらはニャベ、カンゾ、ホクモン、クチ、ビンチャインの5県である。残る19区(面積494km^(2))は市域内に置かれている。これら19区の市街地区(ベトナム語で "Qua^.n, 郡" )のうち名前が付けられているのは7区(タインビン、ビンタイン、フーニャン、トゥドゥック、ビンタン、タンフー、ゴーヴァップ)であり、残りは単純に1 から12までの数字が名前になっている。郊外県が通常多数の村(ベトナム語で Xa~, 社 )や町(ベトナム語で Thi. tra^'n, 市鎮 )から成り立っているのに対して、市街地区はいずれも多数の地区(ベトナム語で Phu+o+`ng, ? )に分かれている。2006年12月からは、ホーチミン市には259地区、58村、5町が置かれている(以下のホーチミン市行政単位一覧を参照)。

経済

ホーチミン市は南北ベトナム統一後もベトナムで最も重要な経済的中心地である。数多くの大企業も含め、およそ30万社がハイテク産業、電器、機械加工及び軽工業に従事し、あるいは、建設業や素材産業、農業製品製造業に携わっている。現在、ホーチミン市には15の工業団地及び輸出加工地区があり、これに加えて、 Quang Trung Software Park 及び Sai Gon Hi-tech Park がある。

ホーチミン市には、小規模なものを除いても171の市場、スーパーマーケットのチェーン店が10系列、高級ショッピングモールが1ダース、多数の美容服飾センターがある。50行を超える銀行が何百もの支店を有しており、拠点を置いている保険会社も20社ある。ホーチミン市には、ベトナムで最初の証券取引所が2001年に開かれた。

ドイモイ政策導入後のベトナム経済の成長に合わせてホーチミン市の経済活動も活発しており、2005年には、ホーチミン市の域内総生産は推計で116億米ドル(対 2004年比12.2%増)、人口1人当たり約1,850米ドルになり、ベトナムの国民総生産の20%を占めた。この域内総生産を購買力平価により計算すれば、560億米ドル(人口1人当たり8,900米ドル)に達する(全国平均の約3.5倍高い)。ホーチミン市の工業生産高は56億米ドルで、全国合計の 30%に等しい。ホーチミン市の港の輸出入高は290億米ドルで、全国合計の40%である。ホーチミン市は、国家予算の歳入の約30%を担っている。

交通
鉄道

ホーチミン市は、ベトナム全土を結ぶ鉄道網の南部の主要地点である。鉄道の駅名は、市名が変わったあとも「サイゴン駅(ガ・サイゴン)」であり、始発、終着駅である。南部の最大都市であるホーチミン市と首都ハノイは1726kmの南北線(統一鉄道)によって結ばれている。ホーチミン-ハノイ間には毎日5本の列車があり、所要時間は最速のSE3、SE4 (列車番号:奇数がハノイ発、偶数がホーチミン発)で30時間、もっとも遅いSE5、SE6で37時間程度である。

航空券とは(出典:wikipedia)

航空券(こうくうけん)とは、旅客機に搭乗する際に必要な切符(陸上の交通機関の乗車券に相当する)の一種で、航空会社の運送約款に基づき乗客に対して発行される有価証券である。航空券には搭乗する者の氏名、搭乗する区間、便名、座席等級、適用する運賃金額、有効期間等が記載されている。

全席指定席(あるいは定員制の自由席)である航空機の特性上、航空券は、航空機に搭乗する際はチェックインという手続により搭乗券(とうじょうけん)といわれる証票に換える必要がある。搭乗券には航空券に記載されている事項のほか座席番号や搭乗ゲート番号等が記載される。国内線の航空券航空券と搭乗券が一体になったものが使用されている。

航空券と搭乗券は言葉が似ており、最近は一体型のものもあるためよく混同されるが、航空券は英語でAir Ticket(Airline Ticket、Passenger Ticketともいう)というようにチケットすなわち切符である。これに対して搭乗券はBoarding Passといい、パスすなわち通行証である。

特徴

鉄道など陸上交通機関の乗車券と違い記名式である(定期乗車券と同じ)ことが特徴で、券面に記載された者以外は使用することができない。名義を変更することもできない。また記載された区間以外には使用することができない。一つの旅程で航空券が複数枚ある場合は順序どおり使用しなくてはならない。逆行使用(例えば「東京→大阪」の航空券を「大阪→東京」の便に使用すること)も出来ない。

一般に普通運賃を適用した航空券は、購入期限や発売場所、有効期間や有効便、選択(指定)できる座席の範囲や販売座席数、空席待ち(キャンセル待ち)時の優先取り扱い、予約変更や払い戻し(取り消し)など、利用条件に関する自由度が高いが、割引運賃を適用した航空券は割引の度合いに比例して自由度が低下する。

発券

航空券は航空会社のほか旅行会社でも発券される。どこで発行されたかは航空券の券面に記載されている。普通運賃の場合、購入時に必ずしも利用便を予約する必要がない(OPEN発券が可能)が、大半の格安航空券では往復の利用便を予約してから購入しなければならない(往復FIXの義務)。

旅行会社での発券は、国内線の場合は航空会社と代理店契約を締結した旅行会社で行われる。国際線の場合は航空会社と旅行会社の数が膨大なので、各国ごとに国際航空運送協会 (IATA) によるBSP (Billing Settlement Plan) とよばれる銀行集中決済方式を取っている。

日本でいえば、BSP JAPANに加盟した航空会社の航空券をBSP JAPANが公認した旅行会社で発券し、決済はみずほ銀行を通じて行なわれる。この旅行会社のことをIATA公認代理店という。

また日本国外の一部の航空会社では、BSP JAPANを通さずに直接日本の旅行会社と契約して発券を委託している場合もある。国内線も国際線も店舗を指定しての契約・公認なので、同じ旅行会社でも航空券が発行できる店舗とできない店舗がある。

近年は、インターネット予約システムの普及で、後述の空港でのチェックインの際にATB券を発券したり、さらには電子航空券が増えており、旅行会社での発券は少なくなっている。

日本国内線航空便を利用する場合、従来は旅行代理店や航空会社の営業所などで空席状況を確認して航空券を購入することがほとんどであったが、日本の航空会社では2002年頃から航空会社のウェブサイトでのインターネット予約・決済が拡充され始めており、この場合は航空券が発券されない「チケットレスサービス」の利用が可能である。

※この場合の支払手段は、一部高速バス同様に、予約後にコンビニエンスストアで運賃を支払い、レジから印字される控え証を航空券の代用とするか、クレジットカード払いを選択した場合は、搭乗当日などに空港のカウンターやチェックイン機などで予約番号を入力、あるいは予約・購入時に利用したクレジットカードをチェックイン機に挿入するなどして航空券兼搭乗券を受け取る形を取る場合が多い。念のために予約画面の印刷を行うと良い。

日本からの国際線航空券についても、従来は旅行代理店や航空会社の営業所などで購入するケースが主流だったが、最近では外資系も含めた航空会社がインターネット予約のチケットレスサービス販売に力を入れており、またそちらの方が若干安くなるように料金を設定している。

航空運賃・料金

航空券を購入する際には、航空運賃のほか(無償航空券、特典航空券の場合を除く)、消費税や出入国税などの税金を支払う。

様式

最近では国内、国際線とも、従来の磁気ストライプの代わりに2次元バーコードを利用している場合もある。この場合、保安検査場・搭乗ゲートと2回の改札を受ける。

なお、割引航空券、あるいは格安航空券、等という呼び名があるが、適用されている運賃の種類に違いがあるだけで、航空券そのものの様式(外観)に違いがあるわけではなく、上記のいずれかの航空券が使用されている。

近年では、上記の航空券を紙ではなく、電子化した電子航空券(eチケット)が用いられている。

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